一度きりの人生
一度きりの人生
ゆっくり景色を見ることなど、したことないのが20代のころの自分だった。
「なぜ自分の思い通りにみなが自分を扱ってくれないのか」とずっと不満だった。
高級時計を買い込み、モノとお金に執着していた。
生徒・・・生徒が自分の思い通りに振舞ってくれるなど、この世がひっくり返ってもありはしないのに、そう望んでいた。
恋人・・・自分がモテないと心が安らげなかった。モテる=価値があるという思い込み、今ではぞっとする思い込みに執着していた20代だった。
こんなことがあった。
授業研究というものがある。教員の何年目かの研修で先輩の教員がつき、授業の指導をしてもらうというものだ。
その先輩の教員はいわゆる進学校でずっとやってきた教員で、問題校に赴任した自分の授業とは根本的に異なる授業観を持っていた。
自分は自分の授業が否定された=自分が否定されたと感じてくってかかった。その先輩の教員も驚いていたが、自分で自分を抑えられなかった。
その根底にあったのは「問題校に赴任した自分をいたわってほしい」「どうか授業どころでない状況を理解してほしい」という気持ちだったと思う。
結局授業もいらいらして生徒に当たって終わった気がする。
最近アンガーマネジメントを知って思うのは、自分の満たされなさと向き合うことの大切さだ。
その時知っていれば、「できない自分」にパニックになることも、逃げることもなく、落ち着いてやり過ごせた気がする。言い訳と、後悔と逃げ癖に彩られた自分の人生だった。そんな半生だったのだ。
そんな中でも
それでもすばらしい出会いもあり、忘れられない恋愛があった。生徒との縁も、今になって花開いていたりする。
「あーあの時の貯金だ」「あーあの時の報いだ」
そう感じることの多い、豊かな人生に気づいてきた。
アドラー心理学では「自分に都合のいい思い出を人間は都合よく解釈する」
そうだ。今の自分の状態がよければ思い出はよくなるし、悪ければ悪くなる。
今の自分なら、アドラーの言う「愛の課題」(二人で共同で取り組む、幸福になるための試練)に挑戦できそうな気がする。
大事なこと
周囲の声や雑音は関係ないという自分の基本的な方向転換は間違っていなかったと思う。ようやくどの方向に踏み出せばよいか、わかった気がする。
状況のすべてに感謝を、執着からの解放を。