断捨離・ミニマリズム・アンガーマネジメント

離婚を機に断捨離してます。

ブラック企業からブラック教員生活を経験したらミニマリストになりました

kindle より

いまこの本を手にとられたあなた!はじめまして、「ミニマリスト高校教員」尾形です。私は自称「ミニマリスト」であり、現役の「高校教員」です。
この本は、教員生活の中で「ミニマリスト」としてモノを厳選していく中で考えたことや経験したこと、教育に役立ったことなどをお伝えしたくて書いたものです。信じられないような経験もたくさんしましたし、しんどかったこともありました。例えばそんなことが、誰かの支えになればという一心でパソコンを打っています。モノや心について、教員という立場から掘り下げてみたいと思います。

1 ^^) _旦~~初就職はブラック学習塾でした。


最初に、私の就職の話をしようと思います。
私は山形県に生まれ、地元の学校から名古屋の大学に進み、そこで学習塾に就職しました。その地域の教室長としての就職です。最初から高校教員になるつもりは一切ありませんでした。とにかく自立したい、自分で稼ぎたい。その一心だった気がします。
首尾よく就職はしたものの、これがまあ絵に描いたようなブラック会社でした(笑)最初に前任の教室長からの引継ぎを一週間ほどで行ったのですが、前任の教室長もそもそもピリピリ、イライラしていて、少しでも意に沿わないことがあればすぐ物陰に引き込まれ説教タイム開始!でした(笑)わき腹を小突かれたり、腕を掴まれたりしたこともあり、確実に今だったらパワハラ認定なことを延々とされたのを覚えています。
当時は就職氷河期だったこともあり、私も若かったこともあって何とか必死に教室を回そうとしていました。アルバイトである講師の先生(主に大学生です)や、通ってくれる生徒(個別指導だったので小学生から高校生までいました)に迷惑をかけまいと、昼13:00頃出勤し、翌朝の4:00頃まで延々と毎日仕事をしていました。
教室は荒れ果て、消しゴムのカスや問題集の段ボールが散乱していました。
モノによって荒れ果てた教室に、自分が、あるいは自分の子供が通いたい、通わせたいと思いますか?
 教室が荒れ果てるとともに、通う生徒数も激減していきました。
同僚には「尾形君、目が死んでるよ」と言われました。
なんとか挽回しないと。なんとか売り上げを上げないと。
そんな切羽詰まった気持ちを今でも覚えています。教育のためとはいうものの、本社からは売上必達目標が示され、数字が出ていない社員には怒鳴ったり小突いたり、何をしてもいいような雰囲気が蔓延していました。
 1年ほど経ち、次第に眠れなくなり、何を見てもどんな場所にいても不安が消えなくなりました。今思うと確実にうつ病の兆候だったと思います。
「このままここにいてはヤバい」
それだけは世間知らずの自分にも分かりました。
たまたま売り上げが目標に届いた時、当時の課長に「もう辞めます」と伝えたところ、「いいよ、でも悪い噂を広めたりしないでね。んで未回収の授業料だけ補填しておいて」と言われたのを(なぜか)覚えています。
 振り返ってみると全く役に立たない教室長だったと思います。
 退職を決めた時、当時の自分に唯一できること、それは掃除でした。
誰もいない深夜の教室。
 生徒の座っていた机を拭き、前任の教室長から引き継いだままの段ボールを片付け、床に掃除機をかけながら、涙がこぼれていました。

続く