断捨離・ミニマリズム・アンガーマネジメント

離婚を機に断捨離してます。

久しぶりに

更新します。最近いろいろあり更新できてませんでした。

 

持ち物は1/5くらいになりました。次々とオークションに出しては売り、出しては売り。

リサイクルショップにも行きまくりですw

こんなとかこんなとか

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f:id:zaogongen-comw-y-2:20160715210154j:plainオーディオ好きなんで・・・

そして変わったことといえば、なぜか職場の年上の女性から告白された・・・

突然電話かかってきて、なんか告白されました"(-""-)"

結果として、あまり話してなかったのと今付き合ってもダメだろーなと思ったのでお断りしましたが、なんぞこれ('_')

嬉しかったかというと正直微妙です、特に意識してなかった人なんで・・・

一切そういう感情なかった人だし・・・

でも周囲が動き出した兆候かな、と感じてます。無駄に旅に出たくなってるし。

実家のモノ。衣装ケースごと捨てたしね。

なんでレンガとか家の中にあるの!?

と驚きながら捨ててました(笑)

 

今日は一日マインドマップを書く日

xMindというフリーソフトを使って、マインドマップを作っています。アンガーマネジメント、断捨離の分野でだいぶ棚卸になっています。まだ途中ですがこんなかんじです

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職場で研修でアンガーマネジメントをやることになり、断捨離・アンガーマネジメントを混ぜた、同僚の教員に共感してもらえるモノにする予定です。

今日は

実家にいると様々なモノが目について仕方がないです。

自分の今まで使ったモノ。

親が使い、そして2度と使わないであろうモノ。

実家の2階の部屋はそういったモノにあふれていました。

で、毎週の休みにコツコツモノをリサイクルショップに売ったり、捨てているのです。

で、ようやくこの状態になりました。

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f:id:zaogongen-comw-y-2:20160612172735j:plainライト、ブロワはオークション用です。まだまだ汚いですね"(-""-)"

断捨離まだまだ続行中ですが、良い変化として

・イライラしなくなった

・行動が素早くなった

・執着が減った

・無駄遣いが減った

・家族とのいさかいが減った

・友人と連絡がつくようになった

・タイミングが合うようになった

・忘れ物をしなくなった

 

いい感じに変化してます ^^) _旦~~

 

生徒の母親と話して

 今日はある生徒の母親と話しました。女子生徒が部のマネージャーを辞めたい、これ以上周囲の部員といざこざを起こしたくないという相談で、母親は「周囲が悪い、顧問の先生は何もしてくれない」という論調で、「他の部活もいざこざあるみたいだけど」

「担任の先生はマニュアル対応ばっかりで」と色々飛び火しました。(私は昨年担任でした)

 この母親と話していて思うのは、「母親は自分の子供が一番」「わかってほしい気持ちを形を変えて言う」ということです。

 わかってほしい、自分と子供がこれほど辛い、大変だということを共感してほしいという気持ちが強いのだと思います。それをそのまま言うとみじめだし、「自分のトラブルを解決する道はないのかもと感じつつ激しく揺れ動き、運命を呪うタイプの人」(加藤諦三)のままいたほうが心理的に楽です。

 解決に動かなくていいし、「被害者」のままいたほうが何もしなくていい。

それと「部活動で上位を目指す」「勉強をして成績を上げる」という学校の論理とは基本的に相いれません。

 解決するには??

共感することと、わかってほしい気持ちに気付かせること、勇気づけることができる最大のことだと思います。

  

一度きりの人生

一度きりの人生

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ゆっくり景色を見ることなど、したことないのが20代のころの自分だった。

「なぜ自分の思い通りにみなが自分を扱ってくれないのか」とずっと不満だった。

高級時計を買い込み、モノとお金に執着していた。

生徒・・・生徒が自分の思い通りに振舞ってくれるなど、この世がひっくり返ってもありはしないのに、そう望んでいた。

恋人・・・自分がモテないと心が安らげなかった。モテる=価値があるという思い込み、今ではぞっとする思い込みに執着していた20代だった。

 こんなことがあった。

 授業研究というものがある。教員の何年目かの研修で先輩の教員がつき、授業の指導をしてもらうというものだ。

その先輩の教員はいわゆる進学校でずっとやってきた教員で、問題校に赴任した自分の授業とは根本的に異なる授業観を持っていた。

 自分は自分の授業が否定された=自分が否定されたと感じてくってかかった。その先輩の教員も驚いていたが、自分で自分を抑えられなかった。

 その根底にあったのは「問題校に赴任した自分をいたわってほしい」「どうか授業どころでない状況を理解してほしい」という気持ちだったと思う。

 結局授業もいらいらして生徒に当たって終わった気がする。

 最近アンガーマネジメントを知って思うのは、自分の満たされなさと向き合うことの大切さだ。

 その時知っていれば、「できない自分」にパニックになることも、逃げることもなく、落ち着いてやり過ごせた気がする。言い訳と、後悔と逃げ癖に彩られた自分の人生だった。そんな半生だったのだ。

そんな中でも

 それでもすばらしい出会いもあり、忘れられない恋愛があった。生徒との縁も、今になって花開いていたりする。

 「あーあの時の貯金だ」「あーあの時の報いだ」

そう感じることの多い、豊かな人生に気づいてきた。

アドラー心理学では「自分に都合のいい思い出を人間は都合よく解釈する」

そうだ。今の自分の状態がよければ思い出はよくなるし、悪ければ悪くなる。

今の自分なら、アドラーの言う「愛の課題」(二人で共同で取り組む、幸福になるための試練)に挑戦できそうな気がする。

 

大事なこと

周囲の声や雑音は関係ないという自分の基本的な方向転換は間違っていなかったと思う。ようやくどの方向に踏み出せばよいか、わかった気がする。

状況のすべてに感謝を、執着からの解放を。

 

 

 

 

 

 

前回よりの続き・統合失調症

統合失調症でわかったこと

妻が統合失調症になり、自分の生活は一変した。看護に追われ、一日のうちそのことがずっと頭を離れなかった「どうして自分たちがこんな目に」といらいらし、眠れない日々が続いた。

 

自分の外に原因を求め、苦しむ日々。その時出会ったのが加藤諦三氏の本だった。そこには生きる上での苦しみとその克服の方法が描かれていた。

 

 周囲の状況に振り回される日々は、まさに「他人の感情を生きる自分」だったように思う。