断捨離・ミニマリズム・アンガーマネジメント

離婚を機に断捨離してます。

外界に左右されない自己

今日は教職員の人事異動の発表で、職員室では一喜一憂の情景が見られた。下は今日の昼飯の冷凍ピザ。

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前の自分なら一喜一憂したのだろうけれど、今は気持ちが恐ろしくフラットだ。

 外界に左右されない=外界の環境は関係なく、今の自分がその場所でどうかというアドラーの教えを知ったからだと思う。

 外界がどうであろうと、その場で幸福を感じて生きることが、実はすべての人に可能であると気付けた自分はなんと幸福なのだろう。

 文章が変だが許してほしい。。。

 

教員としてのキャリア

教員評価という価値観から自由になることについて

教員評価というものを、アンガーマネジメント的にとらえてみる。教員評価とは「教職員が年度の行動目標を決め、年度末にどれくらい達成できたかを自己点検するプロセスの中で、目標設定から実施、チェックの段階で校長の指導助言等が行われ、教職員の職能成長が図られる、というシステムである。」抜粋文科省より。

 この制度の可否とか、それが自分にどう影響するかとかをここで論じる気はない。

伝わらない場所で伝わらない言葉を吐いても意味はないと思う。ではなく、この制度をアンガーマネジメント的にとらえると何が生まれるかを検証したい。

 

 アンガーマネジメントは「怒りの整理方法」だ。教職員評価制度は「変えられないこと」だが「重要なこと」と教員的には言える。ではそれを自分個人へ還元してみるとどうか。

 アンガーマネジメントをやっていると気づかされるのは「自分の価値観」だ。

 教員評価で意図されるのは究極のところ「賃金」と「職位」であり、今の自分の価値観的には「重要ではない」に入る。自分の価値観。賃金は飢え死にしない程度にもらえればよい。お金で手に入るモノは所詮モノであり、自分の価値にはなんら影響を及ぼさない。

教員評価とはあくまで職の評価であり、個人の価値に対してではない。

 教員評価はいわゆる「他人の価値観」で作られた評価であり、それに対して何か言ったりイライラしたりするのはアンガーマネジメント的には正しくない。

 それはそれとして整理をする、始末をつける。シンプルに生きるためにはそれが不可欠な気がする。

笑いについて

憂鬱やストレスに対抗する手段は

 笑いとユーモアは人生のあらゆる苦悩に対抗する唯一の手段だと思う。

受け答えを深刻なものと受け取るか、ユーモアを交えて表現できるかは人生観が大きく異なるだろう。教員は概して真面目でユーモアを交えて受け止めたり受け入れたりが下手な人種と思う。

 

ストレスは受け取り方で笑いに変換できる。

自分の深刻な状況をあえてお笑いのネタとしてとらえてみる。もしとらえるのが不謹慎だと思うときはそれだけ病んでいると受け止める。基準をきちんと作成しない限り自分を客観視できない。ビデオに撮影するのも認知のゆがみを矯正するよい方法だろう。

 

笑えれば満足

笑えるというのは自分を受け入れている証拠な気がする。笑えるかどうか。世界を判断する基準。自分が自分を受け入れられているかどうかの基準。基準をはっきりさせて世界に臨みたい。

アンガーマネジメントを通じて出会った劇薬

最近勉強しているのが

アンガーマネジメントを通じて最近勉強しているのがアドラー心理学だ。アンガーマネジメント「相手のべきを認める」「人と縦の関係ではなく横の関係を築く」

そのための大きな大前提とは・・・「今の自分を受け入れること」だと語る。

自分のあるがまま・・・離婚をしてバツイチの、自分を受け入れることだろう。

教員生活では教員が自分自身を受け入れていないケースが往々にしてあり、また「今のままの自分の授業ではだめだ」「今のままの自分の指導ではだめだ」と感じさせる状況に容易になる職場である。自分はそれは切ないと思う。

教員としての自分の受け入れ方

「生徒を指導できない自分はダメ教員のレッテルを貼られる」「部活動の大会で○位以上でなければならない」「大学進学○人以上でなければならない」と思う教員には「自分が優れていることを誇示することでよく思われようと背伸びをすることは必要ではなくなります」というアドラーの「横の関係」を作る目標を持つべきだと思う。かつての自分がそうだったらどれだけ幸福な思いを味わえただろう。「教育の機能は、成功すること、何者かになることを強要することではなく、君たちが誰の模倣もせず、君自身であることを助けることだ」

 仲間を認め仲間と調和し、自分を他者に貢献できていると思えること・・・それがアドラーの説く受け入れる方法だろう。

 

人がどうかではなく

この通念を自分から始めようと思う。人がどうかではなく、自分から始めたい。自分の受け入れ方だ。

 

 

自分の認知しなおし

 人を悩ませるのは遠くの戦争ではなく

この本を事あるごとに読み返している。自分が昔悩んでいた根本の原因は結局家族に褒められ、愛されない自分を事あるごとに感じていて、その承認を求め間違えた方向、他人に優越するための努力を し続けて袋小路に入ってしまっていた。

・女性を愛せない・・・体だけを求める関係しか築けない

・他人に少し注意をされるとこの世の終わりのように傷つく

・自分を少しでも良く見せようと必死

・常に価値のある自分を感じていたくて、目に見える賞やお金を求める

これらは自分の姿勢、意識が招いた現実だった。それは代替できないものを得ようとした結果だった。それは、その姿勢では本当に欲しいものは得られない、そう覚悟するところから出発するのが自分のスタートだ。

家族は無上の薬でもあるし、最悪の毒にもなりえる

教員という仕事をやっていると、様々な家族の形態に遭遇する。もちろん俗に言うDV、毒親、ネグレクト、汚部屋・・・一通りカタログのように関わってきた。

ひるがえって自分はどうだったんだろう。父親は少し機嫌が悪くなるとすぐに暴言をはく(暴力はない)母親と常に(本人らは冗談というが)言い争う。子どもに当たる事はないのが救いだったが、「自分がもっと○○すれば家族もうまくいくのではないか」という気持ちを醸成するには十分な環境で、専門用語で言うと自分は家族の中で「ヒーロー」の役割だったかと思う。上の「ゆがみちゃん」の本は自分の役割を意識化するうえで非常に役立った。

自分はそれでも親を責めない

それでも自分は親を原因にしたり、責める気はない。ただ許したり感謝する気もあまりない。「それはそういうもの」として事実に意味付けするよりも、「自分はそういう人間にも関わらず、幸せになる権利がある」と認知しなおしたほうが自分には向いているからだ。自分の選択に自信を持てるようになったのが最近だが、断捨離・アンガーマネジメントを通じて自分自身を認知しなおせるように毎日を生きていこうと思う。

 

 

 

憎しみを解消する方法

満たされない自分に気付く

日々の些細なことにイラつくときは、自分の中のどこかに満たされない気持ちがあると思う。「いやがらせする人はたいてい仕事がうまくいっていない」とは加藤諦三さんの著書中の言葉だが、それは誰にでも、自分にも当てはまる。その解消法は「長所で勝負」らしい。もう一つ加えて「アンガーマネジメントで勝負」はどうか。

アンガーマネジメントで満たされない自分を解消

アンガーマネジメントの手法であるハッピーログ(一日あったいいことを書き出すこと)やアンガーログ(一日に怒りを感じたことを書き出すこと)をやっていると、自分の日常がいかに「○○すべき」や「全か無か」で構成されているかに気付かされる。

認知のゆがみを一つずつ外し、起こったことをありのままに受け止めることが「満たされない自分」を受け入れる第一歩ではないだろうか。

 

それにもかかわらず神に愛されていること

いきなり宗教めいたことをいうようだが、本当に人生を切り開き、願望を達成する秘訣は「それにもかかわらず素晴らしい自分」という実感を常に持つことだと思う。

すごい車を持つ、あの人が振り向いてくれない、年収が低い・・・などは、自分の、あなたの価値には全く関係がない。それにもかかわらずそう思い込むのは「認知のゆがみ」だ。生徒が言うことを聞かないのは授業力がないだけではない。学級崩壊が起こるのもその教員の力量のみでは断じてないし、問題行動は担任のせいでもない。また例えば大学進学率が下がったり、不登校が何回も起きるのはその教員のせいではない。と、例えば学校現場ならそう言ってあげることでどれだけ救われる教員がいるかしれない。

それを教員のせいという「認知のゆがみ」があるから追い詰められて悪循環となるパターンが多い。

 教員も生徒もその「認知のゆがみ」に気付き、つとめて冷静に対処するのが学校現場の、人生のうまい乗り切り方だと思う。

 

人との関係

人との関係、特に恋愛?について

この年齢(38)になると、生徒に言われるでもなく独身で~ということの意味が様々違ってくる。いまだに「結婚しろ!」というバイアスは親から感じるし、特にそれに対してどうこうというわけではないんだと思う。(そもそも離婚してからの2年、特に不自由はなく過ぎたw)結婚は今の自分には削ぎ落とすものかどうかいまだに測りかねている。

 

知人の紹介などで離婚してから何人かの女性に会ったが、最近自分の中で婚活に向かう気力や結婚、恋愛についてのアンテナがふつふつと萎えている(笑)そこまでして恋愛&結婚しなくていいんじゃない?という感じで、連絡が途切れがちな女性にはあまり積極的に連絡しないようになった。そうしたら昔の彼女(結婚する前の)から連絡があったりして。ただこちらからあまり連絡をとらずにいようと思う。それでなくなったらそれまでの縁ということだ。

 執着をなくすのが行動指針の一つだ。