断捨離・ミニマリズム・アンガーマネジメント

離婚を機に断捨離してます。

やる気搾取の世界より

(前回よりの続き)

 やる気搾取の世界に、それでも生徒の進路にけじめをつけ、教員採用試験の勉強を始めた。モチベーションは「二度とあの世界に戻りたくない」

 自分のことしか考えていなかった、生徒のためにとかそんな気持ちはみじんもなかった。

 教員になってから

なんとか教員になり、いわゆる「問題校」に赴任した。「この自分はもっとましな対応をされてしかるべきだ」「自分はもっと優秀で、こんな問題校にふさわしくない」

そんな気持ちで働いていた。当然うまくいくわけもなく、大切にされないまま、癒しを求めて出会い系にはまった

(続く)

就職とアンガーマネジメント(またはアドラー心理学)

就職と心理学f:id:zaogongen-comw-y-2:20160501073541j:plain

 自分は大学を出て新卒では就職しなかった。下宿の部屋にこもってひたすら詩を書いていた。離婚した嫁とは大学の後輩で、その関係に執着し、地元に帰りたくないと、半年ほどして全国展開の個人指導塾に就職した。

 そこは教育とはかけ離れた、ビジネスの世界だった。「やる気搾取」の世界だった。

それまでの世間知らずでプライドだけが高かった自分は粉々に打ち砕かれた。

(時間ないので続く)

課題の分離と不満の解消

人からあれこれ言われる時

自分は昔から、人からあれこれ言われるのが苦手だったと思う。こうしなさい、ああしなさいと言われるのがすごく嫌で、それに従わされるときは、この上なく苦痛だった。

それはなぜかと考えたときに、やはり親との関係に行きつくのだと思う。母親との関係に実存の不安があり、妹に母親を取られてしまうという不安を自分の中で解決せず逃げてしまった、それが根本にあるのだろう。不安の正当化、それが自分の人生を貫く大きな根本の病巣だった。何がなしの不安。受験でも恋愛でも、ライフイベントになると決まって顔を出す。

今の自分に必要な気づき

それは何周遅れでも自分に必要な人生の課題だった。自分の課題。誰も肩代わりできない課題。それは人により違う。

今はこの課題がいとおしく思える。あなたの課題は何だろう?職員室でそうつぶやくと、各人背負っているものが透けて見えたりする。

それは誰の課題?これは私の課題。

忙しい中でこそのアンガーマネジメント

四月の職員室は

年度初めの高校の職員室は死ぬほど忙しい。自分はまだましな方だが、他の先生を見ていてもあれこれと仕事が入ってきて目の回る忙しさだ。近年の学校は授業以外の様々なものが入ってきて、例えばキャリア教育、部活動大会関係の仕事、食育、国際交流事業、等々。それに加えいじめ対策、SNS対策、面談など、今までの仕事も同様にこなさなければならない。

仕事の断捨離

 はっきり言えるのは、事業の何かをやめない限り、目立つ成果は挙げられないこと。人的資源も有限、時間も有限、その中で成果を挙げる、今までの行動を変えるには、教室や職員自身の役割の認識を新しくし、今までの行動を捨てるしかない。

 以前の自分は仕事の整理、ひいては人生の整理ができていなかった。どうでもいいことに怒り、苦しんでいた。生徒のこと、同僚からの一言。保護者との関係、大切なはずの家族の認識。それらをひとつひとつ整理し始めたら、不思議と目の前が開けてきた気がする。大事なことは捨てること。捨てて得られるものの大きさに気付くこと。

 そして仕事を自分の人生にどう位置づけるか見極めること。

 「その人は本当に自分の人生に必要な人か?」その問いかけを常に忘れないこと。

四月の職員室、殺人的な忙しさの中でぶれない自分、動じない自分を、今までよりは見つけられた気がする。腹の底からのいやな焦りがなくなった。

 

自分の中に核を作る

生きている以上、自分の生き方を妨害する人は必ずいる。今の自分の苦手だと思う人は「自分の言動が周囲よりも正しいと思っている人」だ。

これは自分の「柔軟であるべき」という価値観に相いれない価値観の人たちだからかと思う。

「自己執着の時には何か自分にとって屈辱的なことが起きると自分の価値がないからこうなったと思いがちである。(中略)自分の意見が通らなかった時に、不愉快になる、怒る。しかし、アテンション・シフトができると、それは自分の意見がくだらないから通らないのではないと思える。だから意見が通らなかった時にイライラしない。」

加藤諦三氏の「対象喪失の乗り越え方」より、アンガーマネジメント的な個所を抜き出した。常々、加藤氏の著書とアンガーマネジメントは共通する部分が多いと感じるが、これがまさしく自分の行動指針と感じる。

 自分の行動指針、それは「毎日を気持ちよく生きる」「感情の整理をする」「自分にかかわる全ての人にアンガーマネジメントを実践する」だ。

 突き詰めると親子関係にも言及しなければならないが、それはまた次の機会に。

 

対象喪失の乗りこえ方 ~別れ、失恋、挫折の悲しみを引きずらないために~

対象喪失の乗りこえ方 ~別れ、失恋、挫折の悲しみを引きずらないために~

 

 

日常的な感情の整理方法

 

職場の送別会があったり、親戚の結婚式があったりと、ライフイベントが多い最近だった。

様々な人と話したり両親と車に乗ったりして気付いたのは、「焦燥感があまりなくなった」ということだ。「人から何も言われたくない」という自分の認識は、「こんなに一生懸命やっている(演じている)自分にこれ以上何も要求しようとしないでくれ」という叫びだったように思う。

 

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そこで思うのは「自分がこういう人間だから」そう思うのではなく、「こう思いたいから」その根拠となる思い出なり出来事に焦点を当てているということだ。自分の場合は「一人でいるのが好き」というパーソナリティが楽だからそこに焦点を与えていただけだ。

 その自分ではうまくいかなくて苦しんだら、そこから自由になろうと教えるのがアドラー心理学だ。以上のことは自分の中では「認知」の作業になる。ここから活用するのは「アンガーマネジメント」だろう。

 

 

外界に左右されない自己

今日は教職員の人事異動の発表で、職員室では一喜一憂の情景が見られた。下は今日の昼飯の冷凍ピザ。

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前の自分なら一喜一憂したのだろうけれど、今は気持ちが恐ろしくフラットだ。

 外界に左右されない=外界の環境は関係なく、今の自分がその場所でどうかというアドラーの教えを知ったからだと思う。

 外界がどうであろうと、その場で幸福を感じて生きることが、実はすべての人に可能であると気付けた自分はなんと幸福なのだろう。

 文章が変だが許してほしい。。。

 

教員としてのキャリア

教員評価という価値観から自由になることについて

教員評価というものを、アンガーマネジメント的にとらえてみる。教員評価とは「教職員が年度の行動目標を決め、年度末にどれくらい達成できたかを自己点検するプロセスの中で、目標設定から実施、チェックの段階で校長の指導助言等が行われ、教職員の職能成長が図られる、というシステムである。」抜粋文科省より。

 この制度の可否とか、それが自分にどう影響するかとかをここで論じる気はない。

伝わらない場所で伝わらない言葉を吐いても意味はないと思う。ではなく、この制度をアンガーマネジメント的にとらえると何が生まれるかを検証したい。

 

 アンガーマネジメントは「怒りの整理方法」だ。教職員評価制度は「変えられないこと」だが「重要なこと」と教員的には言える。ではそれを自分個人へ還元してみるとどうか。

 アンガーマネジメントをやっていると気づかされるのは「自分の価値観」だ。

 教員評価で意図されるのは究極のところ「賃金」と「職位」であり、今の自分の価値観的には「重要ではない」に入る。自分の価値観。賃金は飢え死にしない程度にもらえればよい。お金で手に入るモノは所詮モノであり、自分の価値にはなんら影響を及ぼさない。

教員評価とはあくまで職の評価であり、個人の価値に対してではない。

 教員評価はいわゆる「他人の価値観」で作られた評価であり、それに対して何か言ったりイライラしたりするのはアンガーマネジメント的には正しくない。

 それはそれとして整理をする、始末をつける。シンプルに生きるためにはそれが不可欠な気がする。