仮想通貨
仮想通貨とは
ミニマリズムに集中していると、最近気になる言葉が仮想通貨だ。
財布がいらなくなる、換金性が高く、これから無視できないものになる。
儲けとかは出来たら嬉しいが、ミニマリズムの一環として手を出してみようかな…
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工具袋をバッグ代わり→人生変わる
バッグ放浪のはてに
ミニマリストとしてのバッグの正解、は人によるだろうけれど、自分もありとあらゆるバッグを使って、あーでもないこーでもないととっかえひっかえしていた。
教員になりたての最初はこんなの。
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次に
マンダリナダックのロゴがかわいくて…しばらく使った。
ボディバッグも使ってみた。
すっかりファッション雑誌に乗せられていた、と思う。でも途中で気づいた…
あれ?なんか全然便利じゃなくない?と。欲しいはずのバッグは、すごく機能的で、届くまでの時間が待ち遠しくて、手に入れたらよし!これで仕事ができる人の仲間入り!と思った。特に当時は思うように仕事ができない(教員なりたてで、教育困難校でと外部的な要因はもちろんあったが)自分を認めれなくて、それを補うためのツール、「なりたい自分になっている」象徴がバッグだったと思う。だから「Begin」なんかに載っているバッグをそのまま買っていた。
どのバッグもすごく機能的で、モノがたくさん入り、誇らしかった。でもじぶんは そのバッグを持っていても、なりたい自分にはついぞなれなかった。
離婚をしてから…バッグ代わりにこれに出会った
離婚をして、嫁と話し合い中、上のバッグでなれたはずの「デキる自分」は一切役に立たなかった。ただ出口の見えない自分自身の感情とのせめぎあいだった。
そんな中、上で手に入れたバッグは一切を処分した。ブランドがつらかった。責めれれているみたいで嫌だった。
デキる自分は幻想だった。
本当に欲しいものはそんなものじゃなかった。
バッグをすべて処分したから、代わりに、買い物かごをバッグ代わりにした。一時的に。
これのもっと小さい版。これがすごく便利だった。なんでも入るし、ワンアクションで取り出せる。カラビナに鍵をつけて、ぶら下げていた。
これが等身大の自分だった。かごを持ち歩いている間、徐々にミニマリズムへの旅が始まっていた気がする。
とうとう出会った…マイバッグ
かごはさすがに大きすぎて、小さい、かごのような機能的なモノ、ワンアクションで取り出せて、安価で、かつ丈夫なもの。それを満たすのが↓
これのも少し小さい版(そればっか)これは非常に機能的で、上の条件をすべて満たす最適解だった。二年ほどこれを使っていたが、その間ミニマリズムにさらに染まってきたこともあり、先日これにした。
コメリセレクトの腰に提げる工具袋だ。大きいところに手帳を入れ、その内側に財布と鍵、表にスマホを入れている。
ミニマリスト的に鞄の中身を出すと
こう。この工具袋にツールストラップをつけて、たすき掛けで肩から提げられるようにしてある。今の自分のミニマリズム。工具袋が今のところの終着駅だ。
等身大の、最小の、相応の、マイミニマリズムツールだ。
365日のシンプルライフ今更レビュ
365日のシンプルライフを(今更だけど)見てる
ちょこちょこ、つまみ食いしながら見てる・・・ミニマリスト御用達の映画だ。
この映画を見て、何が例えば10代後半の生徒たちに伝えられるだろう。
君らが欲しがっているもの、今どうしても欲しいもの・・・それは手に入れても思っている自分にはなれないよ・・・と、理解できるのはたぶん40歳ぐらい、自分の今の年齢くらいになってからだろう。
全てほしい。正直、世界の全て。そう信じて疑わなかった、自分の高校生の頃。
本当に大事なものは
本当に大事なものなんて、ないならないでいい、というのは言い過ぎだろうか。全ては変化するし、流れゆくし、形を変える。
大事にするものは、そんなものを手に入れて喜べた自分、そして手放せる自分だ。
自分なんてものも、ほんとはないのかもしれないのだし。
顰蹙は爆買いしたい
映画の感想に戻って。
主人公のモノローグが長い。自問する。正直、「何もいらない」と独白する場面でなぜかこちらが泣きそうだった(笑)
でも結局ミニマリストというのは、最大限かっこよくいうと、「自問」を選んだ人なのだと思う。自分は今何が必要か、と。
世界なんていらないけれど、今自分はこの映画が見たかった。
高校生の頃に見たら確実に退屈な、今の高校生が見ても確実に退屈な映画。
様々なものを手放した今、自分はこの映画に涙している。
■
ブログを書くときに、なぜか神妙になって、何か役に立つことを書かなきゃ!とか思ったりもするけど、それは学級通信などを書いている職業病な気がしないでもない。。。
最近処分したモノは、メルカリでアクセサリー、リサイクルショップでバッグなど。。。少しずつ増えては減り、アップデートを繰り返しながら、そぎ落としている。
↑オークションで出品した写真そのまま(笑)実はレアなモノもあったり…市松のリングとか、プラチナの婚約リング(!)とか…でももういいや( `ー´)ノ
年収ウン千万プレイヤーの断捨離話をネットで見たけど、あれもお金やモノでは幸福になれない、むしろないほうが幸福を感じられるいい例だと思う。このアクセサリーを買ったときは、これでかっこよくなれる!とか、これでモテる!なんて勘違いしていたけど、自分自身は何も変わらなかった。本当に一ミリたりとも。
教員になった当初だって、公務員になって「これで他人や親に認められる」とか「これで馬鹿にされなくて済む」などという気持ちが強い最悪な教員だったと思う。その自分の気持ちに「早く気づきなさいよ」という出来事が立て続けに起こって、の12年だった。ここで!時系列的に振り返りたくなったので並べてみる!あくまで自分の中で!
・教育困難高校赴任
・うつになりかける(墜落寸前になんとか復帰!)
・体重30㎏激やせ(↑もあるし野球部で一緒に走ってそばしか食べなかった)
・結婚する年に東日本大震災
・異動し、結婚
・嫁統合失調症発病
・また不眠再発
・離婚
・また異動
・アンガーマネジメントを学ぶ
・ミニマリズム、断捨離の思想を知る
・タッピングに出会い、実践中
・執着を捨て中←イマココ
こうやってみると、自分だけの世界史、だなあ。
高校教員としてようやくスタートラインかなぁって最近思う。なんでもストレートに来たタイプの教員じゃないけど、誰のまねもしていないことは確実に言えそう。
・
2016年を振り返り①
ミニマリズムとモノ好きの両立
自分はオーディオが趣味で、衝動的にオークションなどで機器を買ってしまう。
それでもここ最近その傾向が変化してきた。
以前の自分は
・欲しいものがあると何も手につかなくなってしまう
・それを手に入れられないと「不完全な自分」な気がしてしまう
・モノ=自分ではない・・・
・そのモノを得れば、今とは違う自分になれると(端的に言うと幸せになれると)
思い込んでいた
・そのモノを得れば、自分自身が変化できると、不安がなくなると思い込んでいた
ここまで。はっきり言うと、以前の自分は不安に向き合う強さ、したたかさ、芯の強さがなかったと思う。常に足りないものに目がいき、心底焦っていた。
モノ=自分だった。
新婚当初はその傾向が特に強く、amazonや、オークションでモノを買いあさっていた。
最近、衝撃を受けた格言がこれだ。そのときの自分に贈りたい。
「お前の仕事はお前じゃない。
お前の銀行残高はお前じゃない。
お前が乗り回す車はお前じゃない。
お前の財布の中身も、そのくそったれなブランドも、お前とはいっさい関係がない。」作家のチャック・バラニュークの言葉だ。
この言葉を本当に理解すれば、本当にほしかったものにたどり着ける気がする。
ちなみに今の自分は
・一つ買ったら一つ以上手放すようになった
・買う前に吟味するようになった
・モノと自分は違う存在なんだと信じられるようになった
・劇的にモノが減った
・モノがなくても満ち足りる時間が多くなった
・行動が素早くなった
・日々の何気ない出来事に感謝できるようになった
そんな自分に感謝したい。
本当に大事なのはモノを片付けるとかそんなことじゃなく
モノはやはり今でも好きで、オークションでウィンドウショッピングをしたりするのは今でも好きだ。でも、だからこそモノに妥協はしたくない。これはオークションでようやく手に入れたDAC X12と自作のアンプだ。
今の自分はこれを大事だと思うし、どれだけいろいろ手放しても、やはりこの機器は手放せないと思う。今はそれでよい。今の自分を大事にしたい。
それでも自分よ、執着はしないでほしいと伝えたい。
これが必要なくなる気がしたら、そのときはきちんと手放してほしい。
モノは自分じゃないんだから、手放すときはきっと来る。
その時は、変化できるチャンスだと思う。