若いころの執着について~断捨離を通して~
断捨離をするとやたら若いころを思い出す件
断捨離をすると、大学のころ(20年近く前)や社会人成り立ての頃を思い出す。
自分がいかに様々なものに執着していたか分かる。
まずは大学の偏差値。友達からの評価。優秀だという口コミ。女性からモテたいという気持ち。生活を楽にするためのお金。自分が何者かであるための文章の才能。
今風に言うと永遠の中二病。一人で様々なことをうまく回るのが当然と思いこみ、散々ひどいことをしていた。
自分への静かな自信がついぞ産まれなかった。
自信がないから高級な時計や、高級なアクセや、最新型の家電、車で自分を「武装した」。
幸福になるためのモノは自分を不機嫌に、不幸にしただけだった。
常に「比較」してよりよいものへ・・・その世界はまるで無間地獄のように自分を飲み込んだ。
吾唯知足・・・ワレタダタルヲシル
実家の庭にこんな石があった。調べたら「つくばい」というらしい。
この石に「唯吾知足」という漢字が書いてあった。
意味はずっと分からなかったし、庭石と思っていたのでそこまで思い入れがなかった。
「邪魔だな」くらいにしか思っていなかった。
最近知ったのはその四文字が「われただたるをしる」と読むことだ。
詳しくはいくらでもネットに書いてあるが、この言葉が今自分の中で意味を持ち始めた。
実家で自分が生まれた頃からずっと存在していた庭石だ。
いくらモノを手に入れても消えなかった不安が、今、モノを手放すことで初めて消え始めている。
「吾唯だ足るを知る」それは清貧の思想ではなく、「今の自分は満ち足りていてすごく幸せな存在なんだ、それに気付くのが幸福の道ですよ」
という説明な気がする。
貧しい、とは持たざる者ではなく、自分に気付けない者な気がする。
まさしく以前の自分は貧しかった。「足るを知らないもの」だった
離婚とは、断捨離へといたる、そして幸福に気付く「学び」だった
何度か離婚のことを書いているが、妻の統合失調症も、「どうして自分に」という気持ちが最初にあったが、今は「違う、それが自分の人生なんだ」という気持ちだ。
自分は今彼女もいないし、モノも以前ほどなく、月家賃三万円の古い一軒家に住んでいる。
でも今までの人生の中で最も安らぎを感じている。
身一つで満足だ。
再婚もしてみたいが(笑)もう執着しない。
できなかったらそれが自分の人生で、縁だったのだろう。
戦争に今のところ脅かされてもいない、病気もない、仕事もある。
生きていける。
幸福は常にあったのだ。
満足だ。